3月の末、夫と2人でナイトズーというものに初めて行ってきました。night zoo。
お昼前に入って一旦通常の動物園を歩き、一旦外に出てカフェで休憩してから夕方に再入場、ナイトズー限定のイベントを目指しつつ、まだ展示されている動物を眺めつつ、歩いた。
結構な雨の中を。
小学生以来の動物園だと言う夫。
私もこんなに人の多い(春休み)動物園は初めてで、夫が楽しんでくれたらいいなと思いながら見てまわった。
動物園の動物は、基本的に大人しい。
さしたる外敵もなく、毎日同じ景色を見て、自分の生活範囲の中で生きてる。
だから時々彼らが大きな鳴き声をあげたり、素早い動きを見せたりすると、途端に人だかりができる。
私もみんなも、動く動物が見たいんだよね。自分は安全なまま、できるだけ野性味をひらめかせた彼らが見たい。
「お食事タイム」がイベントとして成立するのも、同じ理由だと思う。
食事への期待で跳ねたり、素早く餌を手に取ったり、図鑑では分からない彼らが見れる。
私が「お食事タイム」を眺めるとき、あぁ世界には、私なんかが想像もできない力強さで生きている命があるんだな、と思ってる。
日常生活で一番よく目にする動物は人間で、その中で生活していると人間が世界の基本で大半なんだなと、無意識に思っているところがあるけれど。
私たちにはない、鋭い牙やくちばし、巨体を維持する太い腕や首。到底かなわない重量でかなわない素早さを発揮する体。それが目の前で生きていて、遠い世界では走ってさえいるんだと、突きつけられる。
自分の常識や無意識の思い込みから成る枠組みの揺らされるこの瞬間が、私はとても好き。
分かってはいても、ひとたび自然に放り出されでもしたら、皮膚をむき出しにした私たちはなんて非力なんだろう。
道具を手にして使ってきたご先祖様に感謝する。
だから何そんなの当たり前だけどもう揺らぐことはない人と動物の力関係じゃない、と言う人は言うだろうけど、夫とはその非力さに立ち返る気持ちを共有できるので、ありがたい。
私の弟は学生時代、課題に追われた夜更けに、眠気を飛ばすため「肉食動物の捕食シーン」を検索して見ていたという。曰く、見ると自分の血も滾ってもうひと頑張りできたのだとか。
そういう楽しみ方もあるらしい「お食事」。
私はフードファイト、大食いをあまり好まない。
すごいなぁと思いつつ、「食」という本能寄りの部分が人間離れしている様子は、少し動物を感じてしまっているんだろうなと、今回気づいた。
あとは咀嚼音も。心地よい音として話題だと最近よく耳にするけれど、苦手だ。
否定はしないし、テレビの番組を変えるようなこともしないけれどね。
閉園時間をすぎたナイトズーの時間帯の方が、心なしか動物たちが活発だった気がする。
一番の衝撃はサイで、2頭が雨の中、角を合わせて頭突き合っていた。
泥に足を取られながら駆け足で一旦離れ、追いかけてきた相手にまた立ち向かう。
今まで見た中で一番躍動する一番大きな動物だと思う。
角の周囲の皮膚は傷ついてたぶん血が滲んでた。喧嘩なのかじゃれ合いなのか。
あの駆け足のままこちらに向かってこられたら、と怯えつつ、そんな危険は起こり得ないと思いながら眺める時間。
かっこよかったなぁ。
0コメント